1996年の夏のある日、ふと、パソコンを手に入れようと思った。
当時、会社では、ウィンドウズ95を使用していたので、当然ウィンドウズにするべきだが、
なぜかそれを避けたかった。何となく、、「あれは使いにくい。。」
頭の芯がキュッと締め付けられる様な緊張感をいつも感じ、用事が済めば、さっさと電源を落としていた。
第一デカイ。自宅に机はない。机があってもこんなに場所を取られては、かなわない。
自分のパソコンとなると、デザインが良いものか、あるいは どこに置くのを想像しても出来るだけ
小さな物がいい。
「そういえば小さなのを見たことがあったなぁ。確かマッキントッシュとかいう。。
万一使えなくても小さくて、見た目さえ良ければオブジェにもなるし。。あれはなんだかかわいかったし。。」不純な考えである。。実は、その時はまだマックを触ったこともなかった。だから、マックがどんな使用感かどころか、 ボディの小さなマックはどこから見ても、日本製の製品だと思い込んでいた。それなのに何故かマックに行きたがっていた。今でもあんな小さなボディを作ったのがアメリカの人であったということを、不思議に思う。
調べて見ると、ぼくが思い描いていたマックはプラスやSE、SE30などのいわゆるコンパクトマックで、
とっくの昔に生産は終わっていて、その頃の現行機種にあのようなデザインのものはなかった。
ウィンドウズ95も登場していたその頃には、既に、マックもpower PCの時代に入っていた。
そして、マックは小さいのだと思っていたが、いつのまにか、ボディも大きくなっていた。
「現行機種に無ければ、中古でもいいか。。」調べてみると、小さいボディの最後の機種である
Color Classic 2というものがちょっと前まであったことを知った。
「なんだ、あれは白黒だったのか〜。でもカラーのがあるのなら、文句はない!ちょっと大きいのは、
その分残念だけど、、」と思ったのだが。。目を付けたそのColor Classic 2でさえ、
power PCの前の68040CPU、そのさらに前の68030というCPUを使っていて、時代遅れの代物であった。
2000年になった今では、G3、G4となり、今では、power PCでさえ、かつての68030と同じ様な状況に
なっている。こういう移り変わりは 人の長い歴史の流れの中で考えると、産声を上げて間もない機器の
宿命であるとは分かっていても、なかなか出来が良いだけ物であるだけに、チョット切ない。
「自分の使いたいことに使えれば、いいか。。」と、諦め切れず調べてみると、
カラクラの画面表示サイズが小さいのは、まぁ問題無いのだが、そのせいで使えないソフトも多いらしい。
さらにフロッピーディスクドライブしか付いていないので、大半のソフトがCDROMで配布されるように
なっているのを考えると、ソフトを入れるにも外付けのCDROMドライブが必要になるかもしれない。。
冷静に考えていくと良いことがない。。第一、ちょっと前には、大須の電気街で何気なく見かけていた
はずなのに、現物が見当たらない。そんなこんなでさんざん悩んでいたのだが。。そんなある日、
中古で店頭に並んでいたColor Classic 2と出会ってしまった。そして意外にも、
即座に「これ下さい。」と言って、あっさりと手に入れた。要するにこれが、好きだったのだ。
箱に詰めてもらって、抱えてその店を出て行くとき、後ろの方で、その店の常連さんらしき人が、
「今時、カラクラなんか、買っていく人がいるんだ。。」という声と、それに答えて、
「今、改造ベースで人気が出てきてるらしいですよ。」という店員さんの声が聞こえたが、
その時は気を悪くするよりも、嬉しさのが大きかった。ぼくが使いたいのは表計算位だし、
気にならない。。と言っても「カラクラなんか、、、改造ベース、、、」と、
何年も覚えてるところをみると、気にしていたようである。
FPU68882は(知らずに買ってしまったが。。)運良くすでに付いていたので、
一週間後には、ちょうど安くなった32MBのメインメモリーを
入れて最大増設36MBにし、同時にクラリスワークスだけを入れて、そのまま 3年近く満足して
使用し続けた。
新聞紙を広げた程巨大な表計算を作っても、こんな小さなロジックボードで、瞬時に計算してしまうことに
感心しながら。