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無妙の音 2000.11.20



「荘厳」という言葉が口をついて出る、まさにそんな情景だった。

身延山久遠寺、早朝5時。
前夜遅くまで降った嵐が嘘の様に上がった、陽がまだ登らない 早朝。
土も木々も、たっぷりと雨水を含み、その芳香が鼻先に気持ちいい。
そのせいか、絶対に寝不足なはずなのだが、すがすがしい目覚めだった。
雲が谷から、太い杉の木々を嘗めてかけ上がって行く。
変幻自在に形を変えてゆく雲をぼっと眺めていると、
遠くの方から微かに、太鼓の音が聞こえてきた。

近くに流れる小川の音にかき消されそうなその音を何気なくとらえていると、
どうやらこちらへ近づいてくる様子だった。
意識は次に、この山の空気に移っていき、
何とは無しに、その空気との一体感を感じて心が安らぐ。

どれだけの時が経ったか、、
白装束に身を包み、太鼓を叩きながら、「南妙法蓮化経」とお経を唱える一団が本堂の方へ足早に 歩いてゆく。その様子を見ながら、朝のお勤めの時間が近いようだと思った。
「それにしても、ちと、皆さんの到着が遅い様子だな。。」と思ったところ、携帯電話が鳴った。
やっぱり、待ち合わせ場所を間違えていたようだ。

その日、そこにいたのは納骨の為なのだが、普段聴けない大人数のお経が聴けるというのを 楽しみにしている自分を感じると、やっぱり少し ウシロメタかったりする。。お経の音まで聴きたいのか!と呆れる人が多いと思うが、 実際に大人数に取り囲まれて聴くお経は、気分爽快、ある種の感動すら覚えるものだ。 これになんの感動も覚えないとしたら、音楽を聴いても感動出来ないのでは? 間近で聴く大音響の太鼓の音には、普段そんな大音響で聴いたことのない人は、 びっくり仰天!最初の一発などは、まさに飛び上がらんばかりに、、実際5cmは飛び上がるのだが、、 その音に驚くはずだ。これは、犬山成田山で聴いた経験。このときの太鼓は、 中太鼓程度の大きさであるが、ここの太鼓は、人の背丈程もある大太鼓である。期待が高まる。

「ばんっ!」
最初の一発は、予想通り鮮烈なものである。 どこから、聞こえたのかと、頭を動かしていた人は、初めてなのだろう。 その中でただ一人、いつ叩くのかと期待に胸を膨らませて大太鼓を見つめていたのは、このぼくだ。 犬山の経験と比べると、こちらの方が本堂が広いだけに、音圧は弱いのだが、 グワングワンとこの大きな本堂が揺らめく様な、低音の“余韻”が美しい。 音につられて見上げると、
「八方睨みの龍」が、こちらを睨んでいた。

その大きな太鼓は、直径と同じくらいの高さの架台の上に乗せられているので、 バチで叩くののも大変そうだ。しかし 、連打になっても、体全体を使って刻むリズムに乱れはない。 この音が荘厳さをさらに助長しているのは、間違いない。昔の人には、、さぞかし。。

ここから先は、帰ってきてから、和尚に聞いた話。
あのバチの長さは、太鼓の直径のちょうど半分位しかないのだという。
それは、良い音が出る長さなのだと言われている。
いい音を出す為には、 太鼓の中心を叩かねばならない。
つまり、叩きそこねると、太鼓に拳をしたたかに打ち付ける事になる。
そうなれば、痛いだけで済まず、簡単に拳の皮がめくれるそうだ。
たとえ、そういう目に合っても、叩き続けなければならない。
だから、太鼓の下のほうには、 黒い染みが点々と付いているのだという。




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