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それは、ある日突然やってくる。
漠然とした不満。。
心を沸き立てる「何か」が、欠けている。
どこか、おかしい。。
機器類は別に、どこも触っていない。なのに何故?オーディオを始めたばかりの頃、
出張から帰って、一週間ぶりに アンプに火を入れたら、なんとなく音の調子がおかしいことがあった。 焦って、スピーカーのセッティングやピンコード類等、その時思いつく限りのところを弄っていて、 あっというまに一時間ばかり経って。。
ふと気が付くと、何時の間にかいつもの音になっていた。長時間電源を落とした機器類は、本来の調子が戻るまでにある程度の時間がかかる。
オーディオを長年やってる人には、常識なのかもしれないが、
オーディオを始めてまだしばらくしか経ってないあの時は、初体験のことで、本当に焦った。
それまでにも、 同様のことがあったにはあったのだろうが、全く気が付かなかった。
こういう経験を一つづつ積んで、なるべく焦らないことが寛容だと、悟ったつもりでも、 そういうことが起こると、やっぱり焦る。 ここのところ、そういう焦りが、、それも簡単には、取り払えない焦りが続いている。 こんなに長い期間は、初めてだ。
こうなると、これはもうスランプとしかいいようがない。(ー_ー;)大元の原因は、分かっている。
ありさ邸のあのドライバー領域の音だ。
始まりは、ダブルドライバーの音を聴いたあのときである。
音の立ちの鋭さ!
そして、そこからくる各楽器類音の艶かしさ。
あれ以来、自分のドライバー領域の音に不満が続いている。人によって、音を聴くポイントは違う。 こちらで、「うーん、いいドラムだ。。」と思っているとしても、 その隣では、「ベースが。。」なんてことは、普通に起こっている。 こういうことは、人それぞれだし、自分の聴くポイントもまた、徐々に変化していくものなので、 これはこれでよい。。
そういう意味でも、世の中には、様々な良い音がある。で、たとえ、“この音には お手上げだ”と思っても、焦らないこともある。
こういう場合は、自分が普段気にしていない部分の良さだったりするので。。 つまり、自分の音の拠り所では、まだこっちに 分がある時などは 余裕を持ってその音を楽しめる。 でも、いつの日にか気にする時がくるかもしれないので、「なるほど、こういう音の出方もあったのか。」と 感謝してしっかり聴かせてもらう。 ところが、自分と同じ聴くポイントで、同程度ならまだしも、、よりイケテル音を出されると、 これは安穏としていられない。(笑)それまでは、最大の振動板を持つこの2インチドライバーの2440一発で、 十分不足ない音の立ちだと思っていたのだが、 まだその先があったのかと、あれには本当に驚いた。
その375のダブルの音に可能性を感じたぼくは、すぐに2440をダブルにして、その後を追った。 そして、今では共にダブルドライバーになり、これならどうだ!と思っていたら、、 まだまだ歴然とした違いを感じたのだ。うちの音は、まだまだもどかしい。。
追い付いたと思ったら、突き放されたこの気分。わかります?
375と2440、生まれながらに持っている音の違いか?
きつめな元気そのものの375と、それと比較して多少しなやかな2440。
思い起こせば、シングルドライバーの頃から そういう音の傾向はあった。 ああいう音を望むのなら375が近道だったかもしれない。不満といっても、全くもって2440には満足している。
なぜだか分からないが、きっと出るに違いないと闇雲に信じている。
そう思っている自分が、微笑ましい。(^-^;A
そう、、ドライバーユニットを換える気は、全くない。その音を知らなかったのならば、幸せなのだろうか? 確かに、そういうこともあるのだろう。 でも、真の趣味だからこそ、、実現困難なことであっても、やはり、 知れるものなら知っておきたい。
相当満足していたはずの音を聴いても、不満が起こる。。
きっとこれは、ぼくの自身の感受性が成長したということなのだろう。
一体、オーディオはどこまで、果てしないのだろうか。