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ここに、一つの金色の腕時計があります。金色の腕時計というと、ギラギラしたものをイメージすると思いますが、これはとても渋く、私の細めな腕にも違和感なくおさまるシンプルなデザインです。今こうして付けてみると、ベルトのサイズが、親父とほぼ同じだったんだと、あらためて気付きました。
オメガ。
クゥオーツが出来るずっと前の自動巻時計、これは、親父の持ち物のなかで 唯一贅沢をしたといえる物です。私が小学1年生の時の夏に、親父が、まさに清水の舞台から飛び降りる様な気持ちで手に入れたものであるということを、と、ある理由で覚えています。よく考えてみますと、それを手に入れたの時の親父は、今の私の年齢より2年も若いということになり、ちょっと不思議な気分です。
そのときより以前にしていた時計はseikoの銀色のもので、今では見られなくなった、ベルトがゴムのように伸び縮みするものです。今ではもう、実物は見つかりません。その時より以前と言いましたが、正確にはその後、私が中学生になるときまで、その銀色の時計は現役でした。それが壊れたとき、普段する腕時計がないからと、大須の古道具屋や質流れ店を中古の時計を探して、二人で歩いたことをよく覚えています。
親父にとって、オメガの腕時計は、決して普段する時計ではなく、いざというときの「取って置き」でした。結婚式とか、葬式の時にしか付けていきません。ですから、いつまでも、奇麗なものです。
「そんなに、お気に入りの時計なら、いつも身に付ければいいのに。」その頃の私はそう思っていましたが、私が受け継いだ今では結局、冠婚葬祭の時に使い、使ったらウエスで拭き、きちんとケースにしまうという、親父がしたのと同じ様に扱うようになってしまいました。